繰り返される関係での協力:ゲーム理論「繰り返しゲーム」の考え方
はじめに:一度きりではない関係の難しさ
私たちの人間関係は、多くの場合一度きりで終わるものではありません。家族、友人、職場の同僚、ビジネスパートナーなど、私たちは同じ相手と何度も関わりを持ちながら生活しています。
一度きりの関係であれば、「今回の利得」だけを考えて行動するという選択肢もあるかもしれません。しかし、今後も続いていく関係では、その時の行動が将来の関係性や得られるものに影響を与えます。相手との信頼を築くこと、協力関係を維持することが、長期的な視点で見ると大きなメリットになることも少なくありません。
では、このような「繰り返される関係」において、私たちはどのように振る舞うのが良いのでしょうか。相手はどのように考え、行動するのでしょうか。ゲーム理論は、この問いに対しても興味深い洞察を与えてくれます。
一度きりのゲームから繰り返しのゲームへ
前回までの記事では、ゲーム理論の基本的な要素である「プレイヤー」、「戦略」、「利得」について触れ、特にある瞬間の意思決定に焦点を当てる「戦略型ゲーム」を例に、「囚人のジレンマ」のような状況を考えました。
囚人のジレンマのような一度きりのゲームでは、たとえお互いが協力した方が全体として良い結果になるとしても、個々のプレイヤーにとってはその場で「裏切る」ことが合理的な選択となりがちです。これは、相手がどう行動しても、自分自身は裏切る方がより良い結果を得られる(あるいはより悪い結果を避けられる)ためです。
しかし、現実の人間関係は、このような一度きりの状況ばかりではありません。同じ相手との相互作用が何度も、あるいは無期限に繰り返される状況がほとんどです。このような状況を分析するのが、ゲーム理論における「繰り返しゲーム」という考え方です。
繰り返しゲームでは、プレイヤーは現在のゲームだけでなく、将来のゲームで得られるであろう利得も考慮に入れて戦略を立てます。これにより、一度きりのゲームでは生まれにくかった「協力」が、合理的な選択として現れる可能性が出てくるのです。
「繰り返しゲーム」が協力関係を生む理由
繰り返しゲームにおいて協力関係が生まれやすくなる主な理由は、将来の報復や報酬が考慮されるからです。
もしあなたが今回相手に協力すれば、相手は次回もあなたに協力してくれるかもしれません。逆に、もしあなたが今回相手を裏切れば、相手は次回あなたに報復してくるかもしれません。このような「将来への期待」や「過去の行動への反応」が、プレイヤーの現在の戦略に影響を与えます。
例えば、職場で同僚と協力してプロジェクトを進める場面を考えてみましょう。一度きりの協力であれば、自分が少し手を抜いて同僚に負担を押し付けた方が楽だと考える人もいるかもしれません。しかし、その同僚と今後も一緒に仕事をしていく場合、今回手を抜けば次回から協力を得られなくなる、あるいは人間関係が悪化して働きにくくなる、といった不利益が生じる可能性があります。逆に、今回誠実に協力すれば、今後も信頼関係を築き、互いに助け合いながら仕事を進められるというメリットが得られます。
このように、繰り返しゲームでは、プレイヤーは目先の利得だけでなく、長期的な関係性から得られるトータルな利得を最大化しようとします。
繰り返しゲームにおける代表的な戦略:しっぺ返し
繰り返しゲームの研究で特に有名になった戦略の一つに、「しっぺ返し(Tit-for-Tat)」戦略があります。これは非常にシンプルながら強力な戦略です。
しっぺ返し戦略は、以下の二つのルールに基づいています。
- 最初のゲームでは相手に協力する。
- 二回目以降のゲームでは、前回の相手の行動と同じ行動をとる。
つまり、「最初は善意で始めるが、相手が協力したら協力し、相手が裏切ったら裏切りで返す」という戦略です。
このしっぺ返し戦略がなぜ有効になりうるのか、先の職場の同僚との協力の例で考えてみます。
あなたがしっぺ返し戦略をとっているとします。
- 最初のプロジェクト:あなたは同僚に協力します。
- 二回目のプロジェクト:
- もし同僚が前回のプロジェクトであなたに協力していたなら、あなたは今回も同僚に協力します。
- もし同僚が前回のプロジェクトであなたを裏切っていた(手を抜いた)なら、あなたは今回、同僚に協力しません(裏切りで返します)。
この戦略の強みは、いくつかの特徴にあります。
- 親切である(Nice): 最初にこちらから裏切ることはありません。まずは協力から始めます。
- 報復する(Retaliatory): 相手の裏切りに対しては、次には裏切りで返します。これにより、相手に一方的に搾取されることを防ぎます。
- 寛容である(Forgiving): 相手が裏切りをやめて再び協力に転じれば、こちらもそれ以上の報復はせず、すぐに協力を再開します。過去の裏切りをいつまでも引きずりません。
- 明確である(Clear): 非常に単純で分かりやすいルールです。相手はあなたの次の行動を予測しやすいと言えます。
様々な戦略で行われたシミュレーションの結果、このしっぺ返し戦略は、必ずしも常に最高の利得を得られるわけではありませんが、多様な相手戦略が存在する状況下で、比較的高いトータルの利得を安定して得られることが示されました。特に、同じように協力的な戦略や、しっぺ返し戦略をとる相手との間では、長期的な協力関係を築き、互いに高い利得を得ることができます。
繰り返しゲームの考え方を人間関係に応用する
繰り返しゲームの考え方は、私たちの日常的な人間関係やパートナーシップに多くの示唆を与えてくれます。
- 長期的な視点の重要性: 目先の得失だけでなく、その行動が将来の関係にどう影響するかを考えること。
- 信頼と評判の価値: 一度築かれた信頼は協力関係の基盤となり、評判は相手の行動を予測する手がかりになります。裏切りは信頼と評判を損ない、将来の利得を大きく減らす可能性があります。
- 報復と寛容さのバランス: 相手の裏切りに対して全く反応しないと搾取されるリスクがありますが、過度な報復は関係を破綻させます。しっぺ返し戦略のように、適切に報復しつつも、相手の協力には応えるというバランスが重要になる場面があります。
- コミュニケーションの役割: 相手の意図や戦略を理解しようとすること、自分の戦略を明確に伝えることも、繰り返しゲームにおける協力関係構築に役立ちます。
もちろん、実際の人間関係はゲーム理論のモデルほど単純ではありません。感情や誤解、状況の変化など、様々な要素が絡み合います。しかし、繰り返しゲームという視点を持つことで、「なぜこの相手とは協力できるのだろう?」「なぜこの関係ではいつも対立してしまうのだろう?」といった疑問に対して、長期的な相互作用の観点から整理して考えるヒントが得られるかもしれません。
まとめ
今回は、ゲーム理論の「繰り返しゲーム」という概念に焦点を当て、一度きりではない長期的な人間関係やパートナーシップにおける協力関係のメカニズムについて考えてみました。
繰り返しゲームでは、将来の相互作用を考慮することで、一度きりのゲームでは合理的に見えにくかった「協力」が、互いにとって合理的な戦略となりうることをご紹介しました。そして、その代表的な戦略として、シンプルながら効果的な「しっぺ返し」戦略の考え方と特徴について触れました。
繰り返しゲームの考え方は、私たちが日々の生活で直面する様々な協力や対立の場面、特に長く続く人間関係やビジネス上のパートナーシップを理解するための、一つの有効なフレームワークを提供してくれます。
ゲーム理論を通して、あなたの身の回りの人間関係の力学を新たな視点から捉え直し、より良いパートナーシップを築くための一助となれば幸いです。