人間関係の「選択」を整理する:ゲーム理論「戦略型ゲーム」と「利得行列」の基本
はじめに
私たちは日々、様々な「選択」を行っています。それは一人で行うこともあれば、誰かと関わりながら行うこともあります。特に、パートナーシップを含む人間関係においては、自分自身の選択が相手に影響を与え、相手の選択もまた自分に影響を与える、という相互作用が常に存在します。
このような、複数人が関わる状況での選択や意思決定の駆け引きを、論理的に分析するための強力なツールが「ゲーム理論」です。ゲーム理論は、単なるゲーム(遊び)だけでなく、ビジネスの交渉、経済活動、さらには日常の人間関係における様々な局面を「ゲーム」として捉え、分析する考え方を提供してくれます。
このゲーム理論の中でも、最も基本的な形式の一つに「戦略型ゲーム(正規形ゲームとも呼ばれます)」というものがあります。そして、そのゲームの結果を一覧で分かりやすく示したものが「利得行列(ペイオフマトリックス)」です。
この記事では、この「戦略型ゲーム」と「利得行列」という二つの基本的な概念について、数学的な難しさを避け、具体的な例を通して直感的に理解していただくことを目指します。これらが、私たちの人間関係における複雑な「選択」や「損得」をどのように整理し、理解するのに役立つのかを見ていきましょう。
ゲーム理論における「戦略型ゲーム」とは
ゲーム理論で分析する「ゲーム」にはいくつかの種類がありますが、「戦略型ゲーム」は最もシンプルな基本的な形式です。この形式のゲームは、以下の3つの要素で構成されています。
- プレイヤー: ゲームに参加する意思決定者です。人間関係であれば、あなたと友人、あるいは同僚など、関わる人たちがプレイヤーとなります。
- 戦略: 各プレイヤーがゲームにおいてとりうる行動の選択肢です。例えば、友人とのランチで「イタリアンに行く」か「中華に行く」かを選ぶ場合、それぞれの選択肢が戦略です。
- 利得: 各プレイヤーが特定の戦略を選び、他のプレイヤーも特定の戦略を選んだ結果として得られる、そのプレイヤーにとっての「満足度」や「利益」を表す数値です。これは金銭的な利益だけでなく、幸福度、時間の節約、評判など、プレイヤーが価値を置くあらゆるものを抽象的に表現します。利得が大きいほど、プレイヤーにとって望ましい結果であると考えます。
戦略型ゲームでは、すべてのプレイヤーが同時に(あるいは、お互いが相手の選択を知らない状態で)自分の戦略を選ぶ、と考えます。そして、すべてのプレイヤーの戦略の組み合わせによって、それぞれのプレイヤーが得る利得が決まります。
人間関係を「利得行列」で表現する
さて、戦略型ゲームの3つの要素、特に「利得」が、各プレイヤーの戦略の組み合わせによってどのように決まるのかを一覧で示したものが「利得行列(ペイオフマトリックス)」です。これは、一般的に表の形式で表現されます。
具体的な例で考えてみましょう。
例えば、あなたが友人と週末に一緒に過ごすプランを立てているとします。あなたの選択肢(戦略)は「映画に行く」か「家でゆっくりする」かのどちらかです。友人の選択肢(戦略)も同じく「映画に行く」か「家でゆっくりする」かのどちらかだとします。
この状況をゲーム理論で分析するために、まずはプレイヤーを「あなた」と「友人」とします。戦略はそれぞれ「映画」「家」です。次に、それぞれのプレイヤーが、自分と相手の戦略の組み合わせによってどれくらいの「利得」を得るかを考え、利得行列を作成します。利得は便宜的に数値で表しますが、これはあくまで相対的な満足度を示すもので、単位などはありません。
| | 友人の戦略:映画 | 友人の戦略:家 | | :------------- | :--------------- | :------------- | | あなたの戦略:映画 | (あなたの利得, 友人の利得) | (あなたの利得, 友人の利得) | | あなたの戦略:家 | (あなたの利得, 友人の利得) | (あなたの利得, 友人の利得) |
この表の各マス目には、あなたの戦略(行)と友人の戦略(列)の組み合わせごとに、あなたの利得と友人の利得をカンマで区切って示します。例えば、左上のマスは、あなたが「映画」を選び、友人も「映画」を選んだ場合の、あなたの利得と友人の利得が入ります。
では、具体的に利得を仮定してみましょう。
- 二人とも映画が好きで、一緒に観に行けると非常に満足(利得:あなた 3, 友人 3)
- あなただけ映画に行きたいが、友人は家でゆっくりしたい。あなたが折れて家で過ごすと、あなたは少し不満だが友人は満足(利得:あなた 1, 友人 2)
- 友人だけ家でゆっくりしたいが、あなたは映画に行きたい。友人が折れて映画に行くと、友人は少し不満だがあなたは満足(利得:あなた 2, 友人 1)
- 二人とも家でゆっくりするのが好き(利得:あなた 2, 友人 2)
これらの利得を先ほどの利得行列に当てはめると、以下のようになります。
| | 友人の戦略:映画 | 友人の戦略:家 | | :------------- | :--------------- | :------------- | | あなたの戦略:映画 | (3, 3) | (2, 1) | | あなたの戦略:家 | (1, 2) | (2, 2) |
この表の見方は、例えばあなたが「映画」を選び、友人が「家」を選んだ場合、右上のマスを見ます。そこには「(2, 1)」とあります。これは、あなたの利得が2、友人の利得が1であることを意味します。
利得行列から何を読み取るか
この利得行列を見ることで、私たちはいくつかのことを理解できます。
まず、自分と相手のあらゆる戦略の組み合わせに対する結果(利得)を一覧で把握できます。これにより、「もし自分がこの戦略をとったら、相手がどう出た場合にどうなるか」という可能性を全て洗い出すことができます。
上記の例で言えば、あなたが「映画」を選んだとします。 * 友人が「映画」を選べば、二人とも最高の満足度(3, 3)を得られます。 * 友人が「家」を選べば、あなたはまあまあ満足(2)、友人は少し不満(1)という結果になります。
次に、あなたが「家」を選んだとします。 * 友人が「映画」を選べば、あなたは少し不満(1)、友人はまあまあ満足(2)という結果になります。 * 友人が「家」を選べば、二人ともまあまあ満足(2, 2)という結果になります。
このように、利得行列は状況を整理し、それぞれの選択がどのような結果をもたらすかを明確にするのに役立ちます。単に感情的に「映画に行きたい」「家でいたい」と思うだけでなく、「もし相手が違う考えだった場合、自分と相手はそれぞれどれくらいハッピーになれる(あるいは不満になる)のだろうか?」ということを、数値化された利得を通して客観的に考える視点を提供してくれます。
まとめ
今回は、ゲーム理論の最も基本的な形式である「戦略型ゲーム」の要素(プレイヤー、戦略、利得)と、その結果を一覧で示す「利得行列(ペイオフマトリックス)」についてご紹介しました。
利得行列を用いることで、複数人が関わる状況における様々な「選択」と、それによってもたらされる各プレイヤーの「損得」(利得)の関係を視覚的に整理することができます。これは、一見複雑に見える人間関係における駆け引きや意思決定の構造を、シンプルかつ論理的に捉えるための第一歩となります。
もちろん、現実の人間関係は、この記事で示したような単純な利得行列で完璧に表せるほど簡単なものではありません。しかし、このような基本的な考え方を理解することで、なぜ相手が特定の行動をとるのか、自分の行動が相手にどのような影響を与える可能性があるのか、といったことを分析するための土台を築くことができます。
今後の記事では、この利得行列を使って、より具体的なゲームの分析手法や、そこから導かれる人間関係における洞察について掘り下げていきたいと思います。まずは、身近な人間関係の状況を「戦略型ゲーム」として捉え、考えられる選択肢と結果を「利得行列」で整理してみることから始めてみてはいかがでしょうか。