ゲーム理論「パレート最適」入門:協力関係における「これ以上ない良い状態」とは
「パートナーシップの数理」へようこそ。このサイトでは、ゲーム理論という考え方を通じて、私たちの日常における人間関係や協力、対立といった状況を理解するヒントを探ります。
ゲーム理論では、複数の人が関わる状況を「ゲーム」と捉え、それぞれの人がどのように行動するか、そしてその結果どうなるかを分析します。前回の記事では、ゲームの基本的な要素であるプレイヤー、戦略、利得についてご紹介しました。今回は、ゲーム理論で考える「良い状態」とは何か、その一つの重要な概念である「パレート最適」について、難しい数式を使わずに分かりやすくご説明します。
チームでの目標設定、みんなが納得できる落としどころを探る難しさ
皆さんは、職場でチームの目標を決めたり、家族で旅行先を選んだりする際に、「みんなが完全に満足できる」状態にたどり着くのが難しいと感じたことはありませんか。それぞれの人が異なる希望や考えを持っている中で、全員にとって「一番良い」と言える状態を見つけるのは至難の業です。
ゲーム理論では、このような複数の人が関わる状況の結果について、「これはある意味で『良い状態』だね」と評価するための一つの基準を提供してくれます。その基準の一つが、今回ご紹介する「パレート最適」という考え方です。
パレート最適とは何か?
パレート最適とは、簡単に言うと「これ以上、誰かの状況を悪化させることなく、他の誰かの状況を改善することができない状態」のことです。
この説明だけでは少し分かりにくいかもしれませんので、具体的な例で考えてみましょう。
ここに、AさんとBさんがいます。目の前にケーキが1つあります。このケーキをAさんとBさんで分けます。分け方にはいくつかの可能性があります。
- Aさんがケーキを全部取る。Bさんは何ももらえない。
- Bさんがケーキを全部取る。Aさんは何ももらえない。
- AさんとBさんがケーキを半分ずつ取る。
- Aさんがケーキの1/4、Bさんが3/4を取る。
それぞれの分け方が「パレート最適」かどうかを考えてみましょう。
- 1 (Aさんが全部): この状態から、Aさんの取り分を減らさずにBさんの取り分を増やすことはできません。Bさんの取り分を増やすには、Aさんの取り分を減らす必要があるからです。したがって、この状態はパレート最適です。
- 2 (Bさんが全部): 同様に、Bさんの取り分を減らさずにAさんの取り分を増やすことはできません。これもパレート最適です。
- 3 (半分ずつ): この状態から、Aさんの取り分を減らさずにBさんの取り分を増やすことも、Bさんの取り分を減らさずにAさんの取り分を増やすこともできません。したがって、これもパレート最適です。
- 4 (A 1/4, B 3/4): これも、どちらかの取り分を減らさずに他方の取り分を増やすことはできません。これもパレート最適です。
お気づきでしょうか。ケーキの分け方においては、極端な分け方(一方が全て取る)も、公平な分け方(半分ずつ)も、そして不公平な分け方も、「誰かの取り分を減らさずに他の誰かの取り分を増やす」ことができない状態であれば、全てパレート最適となりうるのです。
パレート最適は「みんなにとって一番良い」という意味ではない
この例から分かるように、パレート最適という言葉に含まれる「最適」は、日常的に使う「一番良い」「理想的」といった意味合いとは少し異なります。パレート最適は、あくまで「これ以上、誰かを損させることなく、誰かを改善することが不可能な状態」を指す技術的な概念です。
例えば、上記のケーキの例で、Aさんが全て取った状態はパレート最適ですが、Bさんにとっては全く「良い状態」ではありませんし、多くの人にとっては「公平でない」と感じられるでしょう。
つまり、ある状態がパレート最適であるからといって、それが「みんなが満足している状態」や「公平な状態」であるとは限りません。しかし、パレート最適ではない状態からは、少なくとも誰か一人の状況を改善しつつ、他の誰の状況も悪化させないような、全員にとって「より良い」(あるいは少なくとも悪くない)状態に移行できる可能性が残されています。
逆に言えば、パレート最適な状態に達すると、そこから全員の状況を同時に改善することはもはや不可能になります。誰かをより良くするためには、必ず他の誰かに犠牲を払ってもらう必要が出てくるのです。
人間関係やパートナーシップにおけるパレート最適の考え方
このパレート最適という考え方は、私たちの日常的な人間関係や、チームでの協力、パートナーシップにおける意思決定の場面でどのように役立つでしょうか。
例えば、友人と二人で旅行の計画を立てているとします。候補地がいくつかあり、それぞれが行きたい場所や重視するポイント(費用、移動時間、アクティビティなど)が異なります。いくつかの計画案が出たとしましょう。
ある計画案Aについて考えます。もし、その計画案Aから、友人(相手)の満足度を下げることなく、自分の満足度を上げられるような、あるいは自分の満足度を下げることなく、友人の満足度を上げられるような、さらには自分と友人の両方の満足度を上げられるような別の計画案Bが存在するとします。この場合、最初の計画案Aはパレート最適ではありません。計画案Bに移行することで、少なくともどちらか一方、あるいは両方の状況が良くなり、もう一方が悪化しないからです。
しかし、もしある計画案Pにたどり着き、そこからどのような変更を試みても、誰か一人の満足度を上げようとすると、必ずもう一人の満足度が下がってしまうような状況になったとしたら、その計画案Pはパレート最適であると言えます。
これは、協力関係や交渉において、どこが「落としどころ」になりうるかを考えるための一つの視点を提供してくれます。パレート最適ではない状態では、まだ「改善の余地」があり、全員にとって(少なくとも一部の人にとって)より良い状態を目指すことができるサインかもしれません。一方、パレート最適な状態は、そこから大きく状態を変えるためには、必ず誰かの犠牲が必要になる可能性を示唆しています。
まとめ
ゲーム理論におけるパレート最適という概念は、「これ以上、誰かを悪化させずに、他の誰かを改善することができない状態」を指します。これは、「皆にとって一番良い理想的な状態」とは必ずしも同じではなく、極端な状態もパレート最適になり得ます。
しかし、この考え方を理解することで、私たちの周りで起こる協力や交渉の結果が、どのような「状態」にあるのかを分析する一つの手がかりを得ることができます。ある状況がパレート最適ではないならば、まだ全員にとって(あるいは少なくとも誰かにとって)より良い解決策が存在するかもしれません。逆に、パレート最適な状態に達したならば、そこからさらに改善を目指すには、何らかのトレードオフ(誰かの得るものと誰かの失うもの)が必要になる可能性が高まります。
パレート最適は、人間関係やパートナーシップにおける「良い結果」や「合意点」を考えるための一つの重要な視点を提供してくれる概念と言えるでしょう。
次回は、別のゲーム理論の概念について、日常の例を交えながら解説を進めていきます。