パートナーシップの数理

見えない相手の手の内:ゲーム理論で考える「情報の不完全性」

Tags: ゲーム理論, 不完全情報, 人間関係, 意思決定, コミュニケーション

人間関係における「相手の考えが読めない」「本音が分からない」といった経験は、多くの人が一度は感じたことがあるのではないでしょうか。特に、仕事での交渉相手、プロジェクトの共同作業者、あるいはプライベートでのパートナーなど、相手の意図や能力が不確かな状況では、どのように振る舞うべきか迷うことも少なくありません。

こうした、相手に関する情報が不十分な状況での意思決定は、ゲーム理論において「情報の不完全性」という概念で捉えられます。今回は、この「情報の不完全性」とは何か、それが私たちの日常的なパートナーシップや人間関係にどのように関わるのかを、ゲーム理論の視点から考えていきたいと思います。

ゲーム理論で考える「情報」の視点

ゲーム理論では、複数のプレイヤーが関わる状況を「ゲーム」として分析します。その際、プレイヤーたちがどのような情報を持っているか、ということはゲームの成り行きやプレイヤーの取る戦略に大きく影響します。

これまでの記事で触れたように、ゲーム理論ではプレイヤー、戦略、利得といった基本的な要素を考えますが、これに加えて「情報」も重要な要素となります。

「完全情報」なゲームとは?

ゲーム理論では、プレイヤーがゲームに関する全ての情報を知っている状況を「完全情報」なゲームと呼びます。具体的には、ゲームのルール、プレイヤーがどのような戦略を取れるか、そしてそれぞれの戦略の組み合わせによってどのような結果(利得)が得られるか、といったことが全てのプレイヤーに明らかである状態です。

さらに、「完全情報ゲーム」の中でも特に重要なのは、「これまでにプレイヤーがどのような手番(行動)を取ってきたか」を全てのプレイヤーが完全に知っている、という点です。例えば、囲碁や将棋のようなゲームは、ルールも結果も公開されており、盤上の駒の配置(これまでの全ての行動)も全て見えています。こうしたゲームは「完全情報ゲーム」に近いと言えます。

人間関係に当てはめるならば、お互いの性格、過去の行動、考え方、価値観、目的などが全てオープンになっていて、隠し事が一切ないような、極めて透明性の高い状況が「完全情報」に近いと言えるかもしれません。しかし、現実の人間関係でこのような状況は稀ではないでしょうか。

現実の多くは「不完全情報」なゲーム

一方で、「不完全情報」なゲームとは、プレイヤーの誰かが、ゲームに関する何らかの情報を知らない状況を指します。特に日常的な人間関係において、この「不完全情報」が問題となるのは、「相手がどのようなタイプか」「相手が何を考えているか」「相手がどんな能力を持っているか」といった、相手自身の状態や意図に関する情報が不確かである場合です。

こうした状況は、まさに「不完全情報」なゲームの典型的な例です。私たちは、相手に関する限られた情報(言葉、態度、過去の評判など)だけを頼りに、自身の行動を決めなければなりません。

不完全情報が人間関係に与える影響

「情報の不完全性」は、人間関係やパートナーシップにおいて様々な影響をもたらします。

  1. 意思決定の難しさ: 相手のタイプや意図が分からないため、どのような戦略を取るのが自分にとって最適なのか判断が難しくなります。「強く出るべきか、譲歩すべきか」「正直に話すべきか、少し情報を隠すべきか」など、相手の情報が不足しているために迷いが生じます。
  2. 疑心暗鬼と信頼の障害: 相手の手の内が見えないことは、不信感を生む原因となることがあります。「何か隠しているのではないか」「実は別の目的があるのではないか」といった疑念が湧きやすくなります。これは、協力関係を築く上で大きな障害となり得ます。
  3. 「腹の探り合い」や「駆け引き」の発生: 不完全な情報を補うために、相手の情報を引き出そうとしたり、逆に自分の情報をコントロールしようとしたりする行動が生まれます。これが「腹の探り合い」や「駆け引き」といった形で現れることがあります。以前の記事で触れた「情報の非対称性」(どちらか一方だけが情報を持っている状況)も、不完全情報の一種と言えます。

不完全な情報の中でどう考えるか?

では、現実の「不完全情報」な人間関係の中で、私たちはどのように意思決定を行えば良いのでしょうか。ゲーム理論では、このような状況を分析する際に、プレイヤーは相手のタイプや行動について、自身の持っている情報に基づいて「信条(Belief)」を持つと考えます。

例えば、「この人は過去の言動から見て、おそらく正直なタイプだろう」「このプロジェクトへの関心は、表面的なものかもしれない」といった、相手に対する推測や期待が「信条」です。私たちは、この「信条」に基づいて、自分にとって最も良いと思われる戦略を選択します。

そして、相手の実際の行動を観察することで、その「信条」を更新していくことになります。「やはり思った通りだった」「予想と違ったから、相手に対する見方を変えよう」といった形で、経験を通じて相手への理解を深め、次の意思決定に活かしていくプロセスです。

日常での応用

ゲーム理論のこの考え方は、私たちの日常的なコミュニケーションにも通じます。相手の言葉や態度、過去の経験などから、相手の性格や考え方を推測し、それに基づいて自分の発言や行動を決めます。そして、相手の反応を見て、自分の推測が正しかったか、あるいは見方を変えるべきかを判断するのです。

もちろん、相手の心を完全に「読む」ことは不可能かもしれません。しかし、「相手に関する情報が不完全である」という前提を受け入れ、その中で最も可能性の高いシナリオや、複数の可能性を考慮しながら戦略を考えること。そして、相手の行動を通じて自身の「信条」を柔軟に更新していくこと。このような視点を持つことは、不確実性の高い人間関係の中で、より賢明な意思決定を行うための助けとなるでしょう。

まとめ

ゲーム理論でいう「情報の不完全性」とは、プレイヤーがゲームに関する何らかの情報、特に相手のタイプや意図を知らない状況を指します。現実の人間関係の多くは、この「不完全情報」なゲームとして捉えることができます。

相手の手の内が見えない状況は、私たちの意思決定を難しくし、不信感を生む原因ともなります。しかし、ゲーム理論の視点から、私たちが不完全な情報の中で相手に対する「信条」を持ち、それを元に意思決定を行い、経験を通じて「信条」を更新していくプロセスを理解することは、人間関係における不確実性と向き合うための一つの考え方を提供してくれます。

完全に相手を理解することは難しくても、情報が限られている中で推測を立て、相手の反応を見ながらアプローチを調整していく。こうした、不完全情報下での思考プロセスを意識することで、より建設的な人間関係を築くヒントが得られるかもしれません。