ゲーム理論「限定合理性」入門:人間関係で「完璧でない判断」を理解する
なぜ人間は時に「非合理的」に見える行動をとるのでしょうか
私たちの日常において、人は必ずしも常に最善の選択をしているようには見えません。例えば、やるべきことがたくさんあるのにスマートフォンを眺めてしまったり、冷静に考えれば不利だと分かっている感情的な言い争いをしてしまったりすることは、珍しいことではないでしょう。
ゲーム理論は、こうした人間や組織の意思決定や駆け引きを分析するための強力なツールです。しかし、ゲーム理論の多くのモデルは、「プレイヤーは完全に合理的である」という前提に立っています。ここでいう「合理的」とは、利用可能なすべての情報を完全に理解し、自身の利得(あるいは目的)を最大化するために最も有利な戦略を完璧に計算して実行できる、といった理想的な状態を指します。
しかし、現実の人間関係や私たちの実際の行動は、この理想的な「完全合理性」とは少し違うように見えます。では、この差は何によって生まれるのでしょうか。ゲーム理論の枠組みの中で、この現実の様相を理解するための重要な考え方の一つに、「限定合理性(Bounded Rationality)」があります。
ゲーム理論の「完全合理性」とはどう違う? 限定合理性の考え方
ゲーム理論における「完全合理性」を持つプレイヤーは、まるで高性能なコンピューターのように振る舞うとイメージしてください。
- 完璧な情報処理能力: どんなに複雑な状況でも、利用可能なすべての情報を正確に把握し、分析できます。
- 無限の計算能力: 可能な選択肢とその結果を全て正確に計算し、最適な行動を見つけ出せます。
- 一貫した目標: 自分の目的(利得を最大化することなど)が明確で、常にその達成のために行動します。
このような完璧なプレイヤーを想定することで、理論的には非常に洗練された分析が可能になります。
一方、「限定合理性」は、経済学者ハーバート・サイモンによって提唱された考え方で、人間の合理性には限界があるという現実を考慮に入れます。私たちは以下のようないくつかの制約の中で意思決定を行っています。
- 情報の限界: 利用できる情報が限られていたり、情報を集めるための時間やコストがかかったりします。
- 認知能力の限界: すべての情報を完全に処理したり、複雑な計算を行ったりする能力には限りがあります。物事を理解するのに時間がかかったり、見落としがあったりします。
- 時間やコストの制約: 意思決定にかけられる時間や労力は有限です。完璧な分析をする時間がない場合もあります。
このため、限定合理的なプレイヤーは、必ずしも「最善」の結果を目指すのではなく、「満足できる」結果を得られるような選択肢を選びがちです。例えば、全てのお店を調べて最も安い商品を探すのではなく、いくつかの知っているお店の中から手頃な価格のものを選ぶ、といった行動がこれにあたります。
限定合理性が人間関係に現れる具体的な例
限定合理性の考え方を導入すると、私たちの身の回りで起こる様々な人間関係やパートナーシップにおける行動を、異なる視点から理解できるようになります。
例えば、友人とのランチの場所を決める場面を考えてみましょう。完全合理的なプレイヤーなら、二人の好み、現在地、移動時間、費用、お店の評判など、考えうる全ての要素を収集・分析し、二人にとって総合的に最も満足度が高いお店を完璧に計算して選び出すでしょう。
しかし、現実ではどうでしょうか。
- 「なんとなく、この辺りにしようか」と、過去の経験や直感で場所を決める。
- 全てのお店を調べるのが面倒で、スマートフォンで最初に見つけたいくつかのお店から選ぶ。
- 相手の好みを全て聞き出すのではなく、「多分これなら大丈夫だろう」と推測で決めてしまう。
- 考えるのが疲れてしまい、「もうどこでもいいよ」と判断を放棄する。
これらは、限られた情報、時間、そして認知的な労力を節約するために、「そこそこで満足できる」選択で済ませている例と言えます。完全に合理的な観点から見れば「最適ではない」かもしれませんが、人間にとっては現実的で効率的な意思決定の方法なのです。
別の例では、仕事のパートナーとの協力関係があります。プロジェクトの進め方について話し合う際、完璧な計画を立てるためには膨大な情報収集と詳細なシミュレーションが必要かもしれません。しかし実際には、過去の経験に基づいた推測、直感、あるいは「まあ、これで大丈夫だろう」という感覚に頼って意思決定が進むことがよくあります。予期せぬ問題が発生した場合でも、全ての可能性を事前に予測するのではなく、その都度「何とかなるだろう」と場当たり的に対応することもあるでしょう。これも限定合理性の一側面と言えます。
限定合理性を理解することの意義
限定合理性の概念を学ぶことは、人間関係においていくつかの点で役立ちます。
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相手の行動への理解と寛容性: なぜあの人は非合理的に見える行動をとるのだろう、と疑問に思うことがあるかもしれません。限定合理性の視点を持つことで、それは必ずしも悪意や無能さから来ているのではなく、情報や認知の限界の中で「満足できる」選択をしようとした結果かもしれない、と考えられるようになります。相手の「完璧でない判断」に対して、より建設的な理解を示すことができるでしょう。
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自身の意思決定の改善へのヒント: 自分自身の意思決定も、常に完璧ではないことを認識できます。どのような情報が不足していたか、どのような思考の癖(ヒューリスティック)を使っていたかなどを振り返ることで、より良い判断をするためのヒントを得られる可能性があります。ただし、必ずしも全ての状況で完全な合理性を追求することが良いとは限りません。情報収集や分析のコストと、意思決定の質向上によって得られるメリットのバランスを考えることも重要です。
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現実の複雑さへの対応: 現実の人間関係や社会は、ゲーム理論のシンプルなモデルよりもはるかに複雑です。限定合理性という考え方は、この複雑さの中で人間がどのように意思決定を行い、それが関係性にどう影響するかを理解するための、現実的な視点を提供してくれます。
まとめ
ゲーム理論の多くのモデルは、プレイヤーが「完全合理性」を持つという理想的な前提から出発します。しかし、現実の人間は情報、認知能力、時間などの様々な制約の中で意思決定を行っており、これを「限定合理性」と呼びます。
限定合理性の視点から私たちの日常や人間関係を眺めると、なぜ人々が時に完璧ではない、あるいは非合理的に見える選択をするのかをより深く理解できるようになります。これは、相手の行動への理解を深めたり、自分自身の意思決定の癖に気づいたりすることに繋がります。
ゲーム理論は、完全なモデルだけでなく、このような現実の人間が持つ「不完全さ」を考慮に入れた様々な発展的な考え方も含んでいます。限定合理性は、私たちの身の回りで起こる様々な「なぜ?」を解き明かすための一つの鍵となる考え方と言えるでしょう。
この考え方を知ることで、日々の人間関係における互いの判断や行動に対する見方が、少し変わるかもしれません。