パートナーシップの数理

人間関係の「暗黙の了解」を読み解く:ゲーム理論「共通知識」の考え方

Tags: ゲーム理論, 共通知識, 人間関係, コミュニケーション, 相互理解, パートナーシップ

日常の「言わなくてもわかる」とゲーム理論

私たちは日々の人間関係の中で、「言わなくてもわかるはず」「相手もきっとそう思っているだろう」といった、いわゆる「暗黙の了解」に基づいて行動することがよくあります。会議の時間や場所、共同作業における役割分担、あるいはパートナーとの夕食の準備など、明確な確認なしにスムーズに進む場面もあれば、反対に「なぜわかってくれなかったんだ」と行き違いが生じることもあります。

このような、お互いの考えや状況についての認識の共有が、私たちの意思決定や協力関係にどのように影響するのかを考える上で、ゲーム理論の「共通知識」という概念が非常に役立ちます。

この記事では、ゲーム理論における共通知識とはどのようなものか、そしてそれが私たちの人間関係やパートナーシップを理解する上で、どのような視点を提供してくれるのかを、数式を使わずに平易な言葉で解説していきます。

ゲーム理論における「知識」の捉え方

ゲーム理論では、プレイヤー(ゲームに参加する人や組織)が何かを知っている状態を「知識を持っている」と捉えます。これは、単に情報を持っているだけでなく、その情報に基づいて行動を決定する能力があることを含意します。

例えば、あなたが同僚と共同でプロジェクトを進めているとします。あなたが「今日中にこのタスクを完了する必要がある」という情報を持っていることは、あなたの知識です。

「お互いの知識」とは

ゲーム理論では、「あなたが何かを知っていること」に加えて、「相手が何かを知っていること」、さらには「あなたが相手が何かを知っていることを知っていること」といった、お互いの知識に関する知識も考慮します。

まずは「お互いの知識」から考えてみましょう。これは、AさんもBさんも、ある事実Xを知っている状態です。

例えば、AさんとBさんがカフェで待ち合わせをする状況を考えます。もし「カフェの場所が〇〇である」という事実Xを、Aさんも知っていて、Bさんも知っているなら、これは「カフェの場所が〇〇であることは、AさんとBさんの間の『お互いの知識』である」と言えます。

「共通知識」とは何が違うのか

では、「共通知識(Common Knowledge)」とは何でしょうか。「お互いの知識」と何が違うのでしょうか。

共通知識とは、単に「お互いが知っている」というレベルを超えた、より深い知識の共有状態を指します。具体的には、以下の状態が無限に続くことを言います。

  1. 事実XをAさんが知っている。
  2. 事実XをBさんが知っている。
  3. Aさんは、Bさんが事実Xを知っていることを知っている。
  4. Bさんは、Aさんが事実Xを知っていることを知っている。
  5. Aさんは、BさんがAさんが事実Xを知っていることを知っていることを知っている。
  6. Bさんは、AさんがBさんが事実Xを知っていることを知っていることを知っている。 ...そして、これが無限に続く。

少し複雑に聞こえるかもしれませんが、日常的な例で考えてみましょう。

あなたはパートナーと外食の約束をしました。予約が必要な人気店です。 あなたが予約したことをパートナーに伝えました。パートナーは「ありがとう、予約したんだね」と返事しました。

さらに、 * あなたは、パートナーが「予約した」ことを知っている、ということを知っています(パートナーが返事したからです)。 * パートナーは、あなたが「予約した」ことをパートナーが知っている、ということを知っているでしょう(あなたはパートナーに直接伝えたからです)。

もし、お互いがこのレベルの知識を共有していると確信できるなら、外食の約束はスムーズに進むでしょう。お互いに「予約があることを相手も知っているから、大丈夫だ」と思って、安心して当日の準備ができます。この安心感は、「予約がある」という事実だけでなく、「相手も自分がこの事実を知っていることを知っている」という、より高次の知識が共有されていることから生まれます。

例えば、もしあなたがパートナーに予約したことを伝えたものの、パートナーの反応が曖昧で、「本当に伝わったかな?」「パートナーは予約があるってわかってるのかな?」と不安になったとします。これは、「あなたは予約したことを知っている」「パートナーも予約したことを知っているかもしれない」という状態ですが、「あなたはパートナーが知っていることを知っている」という状態が確実ではありません。この場合、あなたはパートナーの行動(例えば、当日の待ち合わせ場所に来るかどうか)を確信できず、もしかしたら念のため再度確認の連絡をするかもしれません。

このように、ある事実が「共通知識」になっているかどうかは、単なる情報の有無だけでなく、お互いがその情報についてどれだけ深く、相手もその情報について認識していると理解しているか、というレベルが重要になります。

なぜ共通知識が重要なのか:行動の予測と調整

ゲーム理論において、プレイヤーは一般的に合理的に行動すると仮定されます。合理的なプレイヤーは、自分の利得(得られる結果の価値)を最大化するように行動を選びますが、その行動選択は、ゲームのルール、他のプレイヤーの戦略、そして自分や他のプレイヤーが持っている「知識」に依存します。

特に、他のプレイヤーがどのように考え、どのように行動するかを予測する際に、共通知識が決定的な役割を果たします。もしある事実が共通知識になっていれば、お互いに「相手もこの事実を知っている」「相手は自分がこの事実を知っていることを知っている」...ということを確信できるため、相手の合理的な行動をより正確に予測し、自分の行動を調整することができます。

例:緊急時の待ち合わせ場所 会社のシステムに障害が発生し、急遽チームで集まって対応することになりました。事前に「緊急時は3階の会議室Bに集まる」というルールが決まっており、全員がそのルールを知っています。

もしこのルールが「共通知識」であれば、あなたは「同僚Aもこのルールを知っているから、きっと会議室Bに来るだろう」「同僚Aは私がこのルールを知っていることも知っているから、私が会議室Bに来ることを期待しているだろう」と確信できます。そのため、あなたは迷わず会議室Bに向かうという合理的な行動を選択できます。同僚Aも同様の推論を行い、会議室Bに向かいます。結果として、チームはスムーズに集合できます。

しかし、もしこのルールが「お互いの知識」止まりで、「共通知識」になっていない場合、例えば「同僚Aはこのルールを知っているはずだけど、本当に覚えているかな?」「もしかしたら同僚Aは私が忘れていると思って別の場所に行こうとするかも?」といった不安が生じます。この不安があると、あなたは会議室Bに行くべきか迷ったり、同僚Aに確認の連絡をしたりするかもしれません。このような状況では、チームの集合が遅れたり、混乱が生じたりする可能性があります。

人間関係・パートナーシップにおける共通知識の重要性

私たちの人間関係やパートナーシップにおける「暗黙の了解」や「空気感」は、まさにこの共通知識の形成レベルに深く関わっています。

意識的に「共通知識」を築くために

ゲーム理論の「共通知識」の概念は、単に理論的なだけでなく、私たちのコミュニケーションや人間関係を改善するためのヒントを与えてくれます。

「暗黙の了解」に頼りすぎるのではなく、「これは相手にとっての共通知識になっているだろうか?」「相手は私がこれを知っていることを知っているだろうか?」と一歩立ち止まって考えてみることが大切です。特に重要な情報や、相手の行動に強く影響する情報については、それが確実に相手に伝わり、お互いがそれを認識していることを確認する努力が、人間関係における無用な摩擦や誤解を減らすことに繋がります。

まとめ

ゲーム理論における「共通知識」は、「お互いが知っている」というレベルを超え、お互いが相手の知識をどれだけ深く認識しているか、という知識の無限階層を指す概念です。この共通知識があるからこそ、私たちは相手の行動を予測し、自分の行動を調整し、協力関係を円滑に進めることができます。

私たちの日常的な人間関係やパートナーシップにおける「暗黙の了解」や「期待」の多くは、この共通知識の形成レベルに依存しています。ゲーム理論の視点から共通知識の重要性を理解することは、お互いの理解を深め、より良い関係を築くためのコミュニケーションのあり方を考える上で、新たな視点を与えてくれるでしょう。数学的な難しさを脇に置いて、この概念を日々の人間関係を読み解く道具として活用してみてはいかがでしょうか。